わたしのライフシフトストーリーカンボジアに綴る恋文-生涯通い続ける/ジュエリーデザイナー[インタビュー]

わたしらしく生きる

海外に暮らすように、行き来をしたい、住みたい、そんな風に考える方もたくさんいらっしゃるでしょう。2か国間生活を実現する方はどのようにして、そのスタイルを築かれたのか、ここではあるジュエリーデザインを担当する女性からお話を伺いました。

カンボジアは嫌いだった

ーNさんは、もともとカンボジアはお好きだったんですか?

いえいえ、むしろ、、、苦手でした。

でも、いまやそんなひとが、カンボジアにご縁をいただき5年が経とうとしています。
きれいごとではなく、いろいろあった背景が、いまはとても大切な国であり、大切な人が今でも頑張っている素晴らしい国。そして、私たちのジュエリーこそ、この国の女性の手から生まれてます。

もう一つの祖国。

SNSで伝わらないことを、それでもこうして書かせていただこうと思ったのは、

それじゃ大切なことは伝わらないよ」と教えてくれた方がたくさんいたからです。

Bougainvilleaジュエリーは、カンボジアと東京の2拠点で作る

3か月に1回、たくさんの荷物を背負って(スーツケースが苦手なので、リュックサックです)
飛ぶんですが、たまに10キロを超えるチェーンを背負ってカンボジアに納品したり、
身長が地面に食い込むような感覚もあったりします。
ちょっと、おしん(昭和のヒット作NHK連続朝ドラ)を彷彿させますが、スカシてみえるので大抵おかげさまに現地に到着します。

この記事に目を通してくださる方はどれくらい、カンボジアに訪れたことがあるでしょうか。
わたし、はもともと欧米かぶれでした。東南アジアは苦手だったのです。
それを恋文なんて、ますます虫が良いとおもいます。

そんな、わたし、にチャンスをくれた人がたくさんいました。
トップバッターは、もちろん、神みたいなひとがひとりいます。
そして、現地のカンボジアの方々です。

わたし、は3か月に1回の渡航者ですから、「所詮お金をたまに落としに来る人」だと思っていただるだけでもありがたいな、と当初おもっていました。

しかしあるとき、1回しか乗ったことのない「TukTuk」のドライバーのおじさんに、
あんた!知ってるよ!乗りな!」と、汗だくのわたし、を拾ってもらいました。

ある日、忘れられたかなーと思う頃に、ゲリラのように家族写真を送ってくれるカンボジアの人がいました。定期的に「シスター」と呼び掛けてくれる女性がいました。
たまに、制作費用をお支払いできず。。工場に据え置きにしてもらったりもありました。

本質はことば、じゃなくても伝わる

カンボジアにいると、書ききれないくらい、情けと、笑顔を向けてもらっていることに帰国してから気づきます。
そこには、自分でも忘れた昔の自分を教えてくれる人がたくさんいます。

あるとき、素晴らしい女性が日本からカンボジアにボランティアにみえました。
彼女は、本気でカンボジアのために自分が何ができるか悩まれていました。

わたしは、ぶっきらぼうに、「何かできるなんて、おもうもんじゃないよ」と
スカシたことを、これまた言いました。

しかし、頭が良い女性だったので、彼女はそこでなにかキャッチくださったようです。
その後のその女性が発信することばに、愛情以外のなんでもない強さがすごかった。

ああぁ、もう伝わってしまうんですよね、その方がどれだけ本気なのかが空気でわかる。
それは、現地の工房のメンバーももうわかっているんですよ。
そういう心ある方がいるって、ダイヤモンドみたいです。

そういうことを、ちゃんと大切にしていこうと、手と手を繋がせていただきたいと、やっぱりずっと思うのです。

ヨガジュエリーの誕生とカンボジアと

長くなりました。
ことばが下手なら、得意の感覚をつかって、人と人を繋がせて頂こうとおもいました。
そうして出会った仲間と同志と、ヨガジュエリーをカンボジアから、日本のみなさんへお届けしています。(このあたりは、インスタグラム(@jewelry_bougainvillea)でも真剣に語ってます)一方で、日本のものつくりや、発想のおもしろさ、をカンボジアの空を思いながら1点ものジュエリーに変えてプノンペンのお店にお届けもしています。

日本での暮らしの延長線上に、カンボジアへの訪問がある


ほぼ毎日、東京の雑踏にいながらにして、わたし、はカンボジアの街角をおもって歩いています。

好きになったひとは、最後まで好きでいる。”とことん”な偏愛体質なわたし、は超絶的距離感でカンボジアと神に恋愛しています。
これは、ほんの少しの制作者の思いです。

みなさまが、思い思いに、自由に、カッコよく、身に着けてくださったらこんなうれしいことはありません。